昭和47年01月16日  特別奉修委員



 久富繁雄さんところのお父さんの五年の式年祭を奉仕させて頂いて、本当にあの御霊様がおかげを受けておられる。段々またおかげを受けていっておられる姿というものをお礼を申させて頂いとりましたら、あの、お芝居であるあの勧進帳ですね、安宅の関です。あの弁慶が私なんですよね。ところがあの弁慶役をあれはなんというでしょうか、後へからうのがからってるでしょう、さがる、おゆずりというですかね。
 あれがね、もうものすご大きくてもう重たそうなんですよね。それをあの繁雄さんがこうやって抱えておられるところを頂いた。私がどうでもとてもここは越されまいと思うところを越そうとしておる訳なんですよ。いうならば。普通ではとても越せないところをもそれこそ神様の御ひれいに縋って越そうとしておる訳なんです、いうならね。けれどもその力が足りないもんですから。
 そのあまりのたくさんのま、いうならば世界に和賀心時代を広めて行こうなんていうような大きな願いを持っておるもんですからね、そういう様なことやらいろいろでございましょうけれども、そのあまりものそれをこう繁雄さんが支えておられるところを頂いて、そういう働きがね、あの御霊様達がおかげ受けておられる大きな原因だというようなことを頂いたんですけれどもね。
 特別奉修委員の方達の場合なんかはもうまさしくそうなんだと思うんですよね。これはもう私のことを中心に、そして教会全体のいろんな例えばご造営ならご造営といったような事、記念祭なら記念祭のことに対して特別なこう特別祈念をなさるというのですから、これはいわゆる私の足りないところをこうやって支えて下さる働きがなされなければ意味がない訳ですよね。そしたらね、あの今日お礼申さしてもらいましたら。
 寒中修行の寒という字のこう、点々がない足りないところを頂くんです。ね、これでゃまあ寒という字のね、今寒中だからでもありましょうが、寒中の寒の字のこれはまぁ自分の事と下り坂はいそがん者はおらんといわれるくらいですからね。ここに力入りますけども、これがその公の事でありましたりね、なんかになりますと例えばここで私が瀕死の状態にでもなったら、みなさんが一生懸命、あん、幹三郎のあん時ですらあの様な熱烈な信心修行でけられたんですからね。
 例えばあの本当にこの事が幹三郎ちゃんの全快のおかげの、になるならばというて一生懸命なられたようなですね。だからそういう様なものが欠けておるのじゃないかと思うですね。こうして一週間、一週間にこうして特別奉修委員がなされる。そしたらね、それこそ紙よりも薄う切っちゃるというごたるあのレモンをね、こう切ってあるところをいくつも頂くんですよ。
 だからこれがもちっと厚うならなきゃいけんのだと思うですね。これはもばからしいですよ、でないと。せっかく例えばそのためにわざわざお初穂までお供えさせて頂いても、みんなが帰った後、また一時間なり一時間半ぐらいの時間をこうやってね、費やされて、そしておられるですから、こう銘々がやっぱりそこんところ工夫されなければいけんと思うですね。こりゃまぁ私のこと願うて頂いて、私のこう支えて下さってま、祈り添えをま下さる訳ですから。
 まぁそれこそ、それこそね、それは例えば一文二文でもね、有り難くおし頂かにゃならんのですよ、本当いうたら。私としてはね、けれどもここにそれこそあの与三郎のね、台詞じゃないですけども、百両百貫もらっても、というところなんです。ね、これはなるほど私を中心に皆さんが願うて下さってある、それはありがたい、それは一文二文の事であっても有り難い、私としては、有り難いけれども、これは百両百貫もらってもですね、あのこれは皆さんの損になる事じゃないという事なんです。
 いうなら、ね、それだけの信心をあの皆さんが修行するなさって下さるのですから、それをもっともっとあのもっともっと力になる、力をですね、なるためになんとかそこに工夫をさせてもらわなきゃならない。それが私とか教会を中心にしての祈りである場合など、もうそりゃいうならば垢抜けしたものなのですから、やはりレモンのお知らせを下さるということは、もう柑橘類でも一番最高の物という意味でしょうね。
 けどもそれがなら薄かっても厚かっても理屈は同じ事ですから、お参りの時間とかお供えは同じであってもですね、その熱うい思い方というか、有り方というか、その為の修行というか、特にね、その寒中の寒を頂いとられても、ま点々がなからなければ寒の字にならんという事ですから。その辺のところをやはり工夫した上にも工夫をして、これはも銘々同じであらなきゃならんことは決してありません。けど、そこんところの工夫を一段とこらされることがありがたいことに事になるのじゃないでしょうかね。
      どうぞ。